太くて硬くて短いふぞろいの手打ちそば
その歯ごたえを味わうたしかな時間
「大江山 雲原 鬼そば屋」なな天そば(温)並盛1,350円
身も心もトコトンすり減り、見失った幸福感を”何か”で満たしたくなるときがある。
6月某日、梅雨空の下、オレが運転するクルマは山へ向かっていた。雲原の「鬼そば屋」に着いたのは午後1時過ぎ。店は満席だった。
雲原は福知山市の最北端に位置する山間部の集落だ。福知山駅からならクルマで約30分かかる。往復すれば約1時間。その時間を費やしても、通う価値のあるそばを供してくれるのがここ「鬼そば屋」だ。江戸時代からの伝統を守る「鬼そば」発祥の店で、現在の店主は7代目になる。
注文したのは、なな天そば(温)並盛1,350円。そばの上に、とり天2枚とダイコン天、日替わりの天ぷらがのる。
この店の名物は、太くて硬くて短い、ふぞろいの手打ちそばだ。そのため「たぐる」「すする」のではなく、まず口に含み、次にある程度噛んでから喉を通すのがよい。といってもこれはオレの流儀に過ぎないので、そば好きは自分の流儀で自由に楽しんでちょうだい。
なな天そばがテーブルに到着するまでの時間に「鬼そば」の歴史と由来を紡いでおこう。大人の食通にとっては店の歴史もまた「味わい」のひとつなのだ。
江戸時代の参勤交代の際、宮津藩の殿様が雲原宿へ立ち寄った。そのときに殿様に献上された料理のうちの1品が、この鬼そばだったといわれている。今から160年以上前、2代目が「鬼そば」の看板を掲げたのが店の始まりだ。
「鬼そば」という名前にまつわる物語がある。この地方では、かたいものを「強(こわ)い」という。店は当初、「生(き)そば」を看板にしており、やがて雲原の「こわいきそば」として広く知られるようになった。ところが、ある旅人が「こわいきそば」と聞いて「怖(こわ)いといえば、大江山の鬼。だから鬼(き)そばというのか」と勘違いした。その話がおもしろおかしく広まって「鬼(おに)そば」と呼ばれるようになったといわれている。天ぷらには衣が、大江山には鬼の伝説が、昔話にはユーモアがつきものなのだ。
と書き終えた絶妙なタイミングで、なな天そばがテーブルに届いた。そばの上に、天ぷらが4枚、粗くすりおろされたダイコンおろし、青ネギがのっている。その隙間から少しだけ見える太いそばが、「主役は下にいるよ!」といった表情で存在感を誇示している。
天ぷらのうち2枚はとり天で、残りの2枚はダイコン天とサツマ天だ。4枚の天ぷらは器の内側にもたれかかり、日光浴をする4人家族のように並んで天井を仰いでいる。
まず、おつゆをすすり、口を潤す。やさしい味の波がひたひたと押し寄せる。いつものように雑味がない「まっすぐな味」だ。次にダイコン天をほうばる。ほうほう。サクサクとした食感のあと、さわやかな甘みがじわ~っと広がる。では、サツマ天も。おお、今度は甘みが舌の上で躍る、跳ねる。
ここで、ようやくそばを口にする。モチモチ、モグモグ、この硬さがたまらない。しばし歯ごたえを味わう。続いてダイコンおろしを口に含み、食感に変化を与える。ダイコンのシャキシャキ感が心地よい。
さて、おつゆに浸しておいたとり天を食らうか。先にダイコン天、サツマ天をたいらげ、次にそばを半分ほど食べてから、とり天を攻めるのがオレの流儀。戦国武将が難攻不落の城を攻略するとき、まず外堀を確実に埋め、次に天守閣を落とすようなものだ。つまり、オレにとってのとり天は城郭における天守閣なのだ。でも、それは福知山城ではないぞ。
ほぐほぐ。口の中でとり天の衣がほぐれ、天守閣が崩れてゆく。粉々になり、食道を通る。おつゆを口に含み、流し込む。やさしい味がとり天のあとを追う。すかさずそばを口に運び、名残を惜しむように噛みしめる。その直後、もう1枚のとり天を攻める。あっけなく落城。ああ、今日もまた天守閣を飲み込んでしまった。最後に、おつゆを飲み干し、完食。
久しぶりに訪れた幸福感。それを味わうたしかな時間。枯渇していた”何か”が満たされた。さあ、事務所に戻って、しばらく手をつけずにいた仕事の案件に取りかかろう。それが難攻不落の城を攻略するような仕事であったとしても。
店名 | 大江山 雲原 鬼そば屋 |
住所 | 京都府福知山市雲原1248-2 |
電話番号 | 0773-36-0016 |
営業時間 | 11:00~15:00 |
定休日 | 火曜日・水曜日 |
※料金と上記データは2020年6月17日現在のものです。
倉田楽 京都・福知山事務所代表。フリーの編集・ライター。美しいフォームでの「自撮り逆立ち」の追求をライフワークとする、神出鬼没で予測不能の男。