領民に愛された秀公の霊を祀る御霊神社
願いを叶えてくれる霊石はパワースポット
創建は「本能寺の変」から100年以上経った1705年。もともとは五穀豊穣と商売繁盛の神宇賀御霊大神(うかのみたま)を祀る稲荷社でした。当時は現在の場所から約150メートル東側(現在の広小路通り中程)にあったそうです。社に大きな榎(エノキ)があったことから「榎神社」とも呼ばれていました。
いっぽう、ほど近い場所にある日蓮宗常照寺(現福知山市菱屋)境内では、領民が願主となり明智光秀公の御霊社が勧請されていました。つまり、お寺の境内に光秀公を祀る神社が設けられていたのです。
一説によれば、光秀公の死後、福知山城下では天災が相次ぎ、「冤罪で非業の死を遂げた光秀の霊魂が祟っている」という噂が広まったとのこと。そこから「光秀公の恨みを鎮めるため、その霊を祀りたい」という御霊信仰が生まれ、光秀公の御霊社が築かれたようです。
朽木植昌(くつきたねまさ)が福知山城主の時代(1669~1708年)の1705年、植昌は領民の願いを受け入れ、光秀公の御霊を稲荷社(榎神社)に合祀しました。それがこの社の始まりです。光秀公の御霊を祀ることから、やがて「御霊神社」と呼ばれるようになりました。広小路の拡張にともない、1918(大正7)年、現在の地に移設され、今日に至ります。
1984年には、境内に「堤防神社」が建立されました。光秀公が建設した堤防の恩恵に感謝し、水害のないまちを祈願するものです。京都府神社庁は「堤防がご神体となっている神社は全国でもみられない」と紹介しています。
光秀公は一般には”逆臣”とみられていますが、福知山では善政をしいた名君として崇められてきました。光秀公は水害をもたらす由良川の流れを変え、長い堤防を築いたり、商業振興のため地子銭(租税)を免除したりしたのです。そんな光秀公を祀る御霊神社のことを福知山市民は親しみをこめて「御霊さん」と呼んでいます。
京都府神社庁のHPに御霊神社の起源、みどころが詳しく記されています。興味のある方は下記をご覧ください。
http://www.kyoto-jinjacho.or.jp/shrine/19/057/
名称 | 御霊神社 |
住所 | 京都府福知山市西中ノ町238 |
電話番号 | 0773-22-2255 |
拝観料 | 無料 |
倉田楽 京都・福知山事務所代表。フリーの編集・ライター。美しいフォームでの「自撮り逆立ち」の追求をライフワークとする、神出鬼没で予測不能の男。