兵庫県丹波市からやって来たカヨちゃん&ドラマちゃんが福知山市中心部を実際に歩き、肌で感じたエリアの魅力をイラストと文章で紹介する特集の第2弾。今回めぐったのは、福知山市のシンボル「福知山城」を中心とするエリアです。
福知山城探索後、ハンドメイド体験や人気セレクトショップ訪問でウキウキ、文化財や工場見学で新発見、お土産選びでわちゃわちゃ、地元で人気の飲食店や通好みのダイニングバーで興奮MAX。
そんな2人のプチ旅観光が、福知山をよく知らない人には観光の手引きに、よく知っている人には福知山の魅力再発見につながれば幸いです。
【前編】福知山城探索&ハンドメイド体験編 ← 今回はココ
【中編】話題のショップ訪問&歴史的建造物見学編 11月21日ころ公開予定
【後編】老舗せんべい工場見学&夜のプチ旅観光編 12月5日ころ公開予定
【番外編】カヨちゃんとドラマちゃんのおみやげセレクション 12月5日ころ公開予定
取材・文=小林佳代子(カヨちゃん)
イラスト=まつざきさいか(ドラマちゃん)
カヨちゃん&ドラマちゃんのプロフィール
カヨちゃん(小林佳代子)
Webメディアでライフスタイルの提案のほか、丹波地域の気になるモノやコトを女性ならではのゆるやかな視点で紹介する情報発信クリエイター。
現在3歳の女の子の育児中。カフェやスイーツが大好き。気になるスポットを発見したら誰かに紹介したくてうずうずしてくる性格。ドラマちゃんとは不定期でインスタライブ「画面越しのランデ ブー」を開催し、丹波周辺の美味しいものを紹介している。
LINK ブログ「ここちいい暮らしノート」/「丹波しるみる」インスタグラム / カヨ☆ここちいい暮らし探究ブロガー
ドラマちゃん(まつざきさいか)
仙台市生まれ、南仏育ちのイラストレーター/デザイナー。海外をうろうろした後、2019年に縁あって兵庫県丹波市へ移住。2020年春、仕事が一度根こそぎ吹っ飛んだのをきっかけ に、オンラインスナック「ドラマ」を開店。チーママとしてお客のドラマをネタに描いていたところ、カヨちゃんと出会う。こう見えて下戸で元コミュ障。著書に絵本作品『なーんだ』『あまのいわと~らんぼうなとらとやさしいらいおん~』 がある(共にsaïcaの表記でWAVE出版より発売)。
LINK Instagram / Saicaホームページ
ふくたん編集部から「プチっと解説」の案内
地域の歴史や文化、地理・地形に興味のある人、予備知識を少し仕入れてからこのエリアを歩いてみたいという人、そして今まさに福知山で観光中の人たちに向けて、役に立つかもしれない情報を「プチっと解説」と題してコラムにまとめました。興味のある方は下記をご覧ください。
※プチ旅観光の本文からも関連のある項目へ移動します。
・丹波平定に成功した明智光秀が丹波の拠点として築いた城
・福知山光秀ミュージアム
・市内観光の案内グループ「福知山観光ガイドの会」
・市民の寄付で完成した福知山城
・光秀さんは福知山で何をしたの?
・440年前の転用石が物語るもの
・数奇な運命をたどった銅門
・天守閣は光秀ファン必見の展示資料室
・石垣に隠れているハート型ストーンを発見したら恋愛成就?
・二の丸台地がごっそり削られた跡がわかるスポット
・伝統的な染織品を収集・展示する丹波生活衣館
【福知山城周辺エリア】プチ観光MAP
今回まち歩きした全体マップはこちら!
今回は「福知山城探索&ハンドメイド体験編」
オレンジで色付けした01と02のスポットをめぐる記事です。
01~02の各イラストをクリックすると、各スポット紹介記事へ移動します!
オレンジで色付けした1~2のスポットについてご紹介します。
01.福知山城
カヨちゃん&ドラマちゃんのプチ旅観光「秋の陣」
福知山市のシンボル「福知山城」へいざ参らん!
時は令和2年。秋深しころである。
目の前にそびえるのは、かの明智光秀が築いた福知山城。その東側にあるゆらのガーデン駐車場でなにやら怪しい3人の動きがあった。
ふくたん編集長「よくぞ参ってくださった」
ドラマちゃん「うむ、事情は聴いておる」
カヨちゃん「我らが来たからには安心するがよい」
今まさに「福知山きちゃった! プチ旅観光MAP」〈秋の陣〉が巻き起ころうとしていた。
……はいカット! カット!
こんにちは、「ふくたん」読者の皆様、お久しぶりです。カヨちゃんこと小林佳代子です。
NHK大河ドラマ「麒麟がくる」が大好きすぎて、いつか「ふくたん」で、大河ドラマのナレーション的な入り方をしたかったんです。わかってもらえたかな……。頭上に「?」が飛んでいる人の姿もちらほら見えますが……。
今回は「福知山城周辺エリア」と題しているものの、外堀からじわじわと攻めるのではなく、いきなり天守閣へ突入! ふくたん軍議ならぬ編集会議で決定した福知山城をスタート地点とし、その周辺エリアをドラマちゃんと一緒にめぐります。
福知山城は、明智光秀が丹波を治める拠点として、いまから約440年前にこの地に築いたのが始まりだそう。
歴史と特徴をざっくりと知りたい人はこちらをご覧ください。
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
福知山城の歴史と特徴をもっと知る
今回、この歴史ある福知山城をより深く堪能するために、ふくたん編集部がすご腕の案内人を用意してくれました。
福知山の見どころや観光スポットを案内してくれる「福知山観光ガイドの会」の小谷雅喜さんです。
私とドラマちゃんは、城に詳しい女性「城ガール」や「お城女子」ではありません。お城に詳しくない2人が福知山城の魅力をきちんと伝えられるかなぁとちょっぴり心配だったので、小谷さんが案内してくれるとわかってひと安心。ペリーの黒船のような大船に乗った心持ち。
福知山城と天守閣を観光ガイドさんに案内してもらうときは、「ガイド料1,000円+福知山城天守閣入場料330円」でじっくりたっぷり1時間30分ほど案内してもらえます。詳しくは下記をご覧ください。
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
市内観光の案内グループ「福知山観光ガイドの会」
「今日はよろしくお願いします。たくさんの見どころを伝えますね」と笑顔の小谷さんに、まず案内してもらったのは、福知山城絶好のビューポイント。登城気分にもなれるという記念撮影スポットです。
天守閣へ向かう際、福知山城のお堀だった「法川」にかかる太鼓橋の「昇竜橋」を渡るのですが、その橋のたもとが撮影ポイントとのこと。
これは観光情報にも雑誌にも載っていない情報! ありがたくいただきます、「ふくたん」に掲載かきかき。
「カヨちゃんとドラマちゃん、ここで写真撮ってあげますよ」と小谷さんに勧められ、今回のプチ旅最初の1枚を撮影。パシャリ。
昇竜橋を渡り、左手に進むと福知山明智ミュージアム(2020年1月11日まで)と福知山城への入り口があります。
ここで再び記念撮影ポイント発見! 武将イラストの巨匠・諏訪原寛幸さんが描いた明智光秀と一緒に撮影できる迫力ある特大パネルがドドンと設置されています。人間の錯覚を利用することでおもしろくて不思議な写真が撮れる「トリックアート」になっているそう。
さてさて、どんなふうに見えるのでしょうか?
ふくたん編集長が自ら光秀「トリックアート」の被写体となり、立体に見える写真撮影の手本を見せてくれました。
なんでもパネルのすぐ前に立つだけでは迫力と立体感のある写真は撮れないとのこと……。
興味のある方はこちらをどうぞ。
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
光秀「トリックアート」を楽しむ方法
しゃべる光秀としゃべらない光秀
福知山城の自販機いとおかし
入口で入場料330円を払っていざ福知山城へ登城!
整備されていて歩きやすいけれど、結構傾斜のある坂道をよいしょよいしょと登り、天守閣前の広場に到着。すると左手に何やら目立つ自動販売機が2台……。
さきほどのトリックアートの作者と同じ諏訪原寛幸さんによる福知山オリジナルの光秀イラストをラッピングした自動販売機です。
「この自動販売機ね、明智光秀がしゃべるんですよ! しかも、お金が足りないと光秀が文句言うんですよ」とたのし気に小谷さんが教えてくれたので、ドラマちゃんがトライ。
しかし、お金を入れるも何もしゃべらない。自動販売機の中の光秀さん、今日は定休日なの? あるいは昼寝中?
「あれ? おかしいな~」と話していると、2台のうち向かって左にある白い自動販売機だけがしゃべるものだったよう。あらら。
天守閣に続く坂道を登ってのどが乾いた人は、2台ある自動販売機のうち、左にある「しゃべる光秀自動販売機」で光秀ボイスをお楽しみください。
福知山城の「おもしろアイテム」までもガイドしてくれる小谷さん。
お客さんの年齢やキャラを読み取って案内してくれているのかな……。
さて、本筋へ戻って、重厚感を出すために焦茶色の焼杉板を壁面に貼った福知山城天守閣。
先ほどの自動販売機の前から撮影すると、迫力ある写真が撮れます。
この場所も小谷さんのイチ押し撮影ポイント。
福知山城再建のカギは
「昭和のクラウドファンディング」だった
明智光秀が築いた城は、明治はじめに発令された廃城令により、残念ながら取り壊されてしまいました。
残された石垣と銅門(あかがねもん)は約100年間放置されていましたが、福知山市民の熱意により、1986(昭和61)年に天守が再建されたのです。
「福知山城を再建するのにかかった費用は8億円ほど。そのうち約5億円が市民からの寄付なんです」という小谷さんの説明を聞き、私は驚きました。
「え! 5億円の寄付? 今でいうクラウドファンディングの大成功版じゃん!」とドラマちゃんも驚愕の様子。
再建当時、「瓦一枚運動」という、瓦1枚3,000円という寄付の方法が始まり、多くの人が福知山城再建のために参加したのだとか。
もっと詳しく知りたい人はこちらをcheck!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
市民の寄付で完成した福知山城
1986年といえば私は3歳くらい。当然覚えてはいないけれど、福知山城が完成した時はみんな大喜びのお祭り状態だったんだろうなと、昭和の時代に思いを寄せてみました。
小谷さんの話は続きます。
「なぜこれだけの寄付が集まったのか、それは明智光秀が時代を超えて福知山市民に愛されていたからじゃないかと思うんです」
福知山城を築いた明智光秀は福知山の領民のためになる政策を実施し、多くの功績を残しています。
たとえば、城下町をつくるにあたり、頻繁に氾濫を起こしていた由良川の流れを変え、領民が安心して暮らせる町を築いたとか、城の二の丸に使っていた土は由良川堤防になって現在も洪水から街を守っているなどなど。
明智光秀の政策についてもっと詳しく知りたい人はこちらをcheck!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
光秀さんは福知山で何をしたの?
「市民には今の福知山があるのは、明智光秀のおかげという想いがあるのかもしれません」という小谷さんの話を聞いて、昭和のクラファン5億円が成功したことに納得。
そんな福知山市民の想いがつまった福知山城。
案内してもらいながら、2人が「ここ、おもしろいじゃん!」と思った見どころを紹介します。
福知山城の見どころ【その1】
石垣にお墓の石が混ざっている!?
全国的にも珍しい石垣と明智光秀の優しさ物語
福知山城に来たら必ず見てほしいのが石垣。
小谷さんのガイドもいっそう熱を帯びたポイントです。
福知山城の石垣をよく見てみると、あきらかに、ただの石じゃない……というモノがちらほら。
「なんだかお墓の石みたい」とつぶやくと「そう、それが正解」と小谷さん。
福知山城の石垣には、ところどころにお墓の石が使われているそうなんです。城の石垣に転用された墓石や仏像、供養塔などの石材を「転用石」といいます。
一説によると、城を築くときに石垣に使える石が足りなかったため、近隣のお墓にある「五輪塔」や「宝篋印塔(ほうきょういんとう)」と呼ばれる供養塔の一部を使ったのだとか。
「え! それ罰当たりじゃない? 寺や町民に嫌がられたんじゃない?」という声が聞こえてきそうですが、そこに明智光秀の「愛され物語」が隠されているそう。
お墓の石を石垣に使ったあと、光秀は部下に命じて「石龕(せきがん)」という供養塔をお寺に返したという伝承が福知山市の寺に残っています。権力・武力をもっていた戦国時代武将のなかで、このような伝承が残っている人物は珍しいといいます。
この”返礼品”伝承は、今もなお福知山で光秀が熱心に支持されるエピソードのひとつですね。
福知山城の「転用石」について、詳しく知りたい人はこちらをご覧ください。
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
440年前の転用石が物語るもの
福知山城の見どころ【その2】
石垣でわかる歴代城主の増築の歴史
大きなスラッシュ(/)を探してみよう!
石垣の話が続きます。日本の城好き、とりわけ「石垣フェチ」の皆さんに知ってほしい見どころです。
おわかりでしょうか。この写真の中に大きなスラッシュの(/)のような斜め線が入っているのを。まるで大きな刀でザクリと袈裟斬りにしたかのよう。
なになに、どうしたの? 地震によるズレ? それとも戦国時代に流行っていたデザイン?
じつはこの写真、築城当初の石垣と増築後の石垣の違いがひと目でわかるものなのです。
斜めの線が入っているところを境に、右側は明智光秀が城を築いたときに組み上げた石垣。
左側は、光秀の時代から約20年後、「関ヶ原の戦い」が終わった後の時代のもの。有馬豊氏(ありまとようじ)が城主の時期に城を増築し、福知山城を完成させた際に築かれた石垣なんだとか。
なるほど、そこに石が積まれた時期が異なるのですね。
福知山城の歴史を感じることができる見どころでした。
福知山城の見どころ【その3】
明智光秀の時代から残る柱に注目!
「銅門(あかがねもん)番所」
天守閣を望む広場の端にある白い壁の建物は「銅門(あかがねもん)番所」。
昭和の再建のときに、今ある場所に移築された建物なのですが、福知山城の中で唯一明智光秀の時代に建てられた柱などが残っているそうです。
福知山城の歴史を物語る貴重な建物なので見落とさないようにチェックしてもらえるといいな。
移転を繰り返した歴史的建造物「銅門(あかがねもん)番所」について、もっと詳しく知りたい方はこちらをcheck!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
数奇な運命をたどった銅門
福知山城の見どころ【その4】
さて問題です! 籠城戦で使用する
「石落とし」の工夫とは!?
天守閣への入り口に向かって歩いている途中、小谷さんからクイズの出題。
「上に見えるのは戦のときに使う石落としですが、戦国時代には8寸(約24㎝)の幅が一般的でした。さて、なぜ8寸の幅がメジャーだったのでしょうか?」
むむむ~と考えをめぐらす2人。
「8寸ぴったりの石を落としたら、敵の頭にちょうど当たりやすいから?」と自信満々で答えるも不正解。私の答えは、まったく”的はずれ”だったようで……しょんぼり。
正解は「忍びに潜入されないための大きさ」とのこと。
戦国時代の人の頭は9寸が一般的サイズだったそう。
どんなに鍛えた忍びでも、頭蓋骨を割ってまでして頭のサイズを小さくすることはできなかった(おそらく)ので、石落としの幅を8寸にすることで潜入のリスクを減らしたそうです。
さすが戦国の世。城の細かな部分にも、いろんな工夫があったのだな~。
天守閣の内部に入る前に石落としを見上げて、戦国の世に思いを馳せてみてください。
福知山城の見どころ【その5】
光秀が眺めたであろう天守から見渡す絶景
殿様気分に浸れる福知山のパノラマ風景
福知山城天守閣の中では、年表や地図、鎧や刀など福知山の歴史に関わる様々なものが展示されています。
中には、イケメン光秀の展示も。こ、これはなに?
こちらはイケメン姿の戦国武将が多数登場し、幅広い年代の女性に大人気のゲーム『イケメン戦国◆時をかける恋』と福知山市がコラボした企画。
ゲーム内の人気キャラクター明智光秀が、「いがいと!福知山PR武将」として福知山を紹介中です。
「いがいと!福知山PR武将 イケメン戦国 明智光秀展」は、2021年2月7日まで開催します。
詳しくは福知山市の案内をご覧ください。
https://www.city.fukuchiyama.lg.jp/site/promotion/prbusho.html
天守閣内部の展示について、もっと詳しく知りたい人はこちらをcheck!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
天守閣は光秀ファン必見の展示資料室
福知山城の見どころは、なんといっても天守閣から一望できる福知山の景色。
ちょっぴりお殿様気分。
眼下に広がる街を見下ろし、小谷さんが説明してくれる明智光秀時代の福知山の姿を想像。
次に400年以上前に治水のために由良川を90度曲げたポイントや、光秀が丹波平定をする前にあった山城の位置、明治時代に取り壊された二の丸の場所などを確認。
福知山城へは何度か訪れている私ですが、小谷さんの解説には初めて聞く話が多く興味シンシン。知識を得てから見渡せば、これまで何気なく見ていた地形や河川にも特別な意味があることがわかってきました。
光秀がこの福知山の地で城を築き、城下町や川を整備したころから約440年の時が経っています。時の流れは目に見えませんが、光秀時代に行なわれた治水工事の跡を、復元した天守閣展望台から眺めることで、その時代とのつながりを感じることができます。
絶景を眺めながら、お城を丁寧にガイドしてもらう醍醐味をさらに強く感じました。
福知山城の見どころ【その6】
石垣の中の「隠れハート石」
発見したら幸せになれる、かも?
小谷さんにたっぷりと見どころを案内してもらい、城を後にしようとしたとき、「こんなのもあるよ」と教えたもらった”ときめきモノ”があります。
なんと、なんと、石垣の中にハートの石が隠れているというのです。
ピピピ!と、私のときめきレーダーが反応。なんだか幸せになれるとか、恋が叶うとか、単なる石垣の石が御守りスポットのようになるなんて、わ~テンション上がる~たのし~!と心の中で叫び、すかさずハート石を探してみました。
でも……なかなか見つからない……。
まぁすぐに見つからないほど、ご利益がありそうだけど。
やがて一緒に行動していたふくたん編集部さんが「あ! あれじゃない!?」と指さした方向を見てみると……。
「あ! ほんとだ。ハートっぽい!」と私は納得しましたが、「ハートかな~?」とドラマちゃんは渋い顔。
「信じる者は救われる」じゃないですが、お城めぐりの最後に、ハートっぽい石を探してキャッキャと盛り上がるのもひとつのお楽しみになりそう。
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
石垣に隠れているハート型ストーンを発見したら恋愛成就?
福知山城をたっぷりガイドしてくれた小谷さんともそろそろお別れ。
ガイドの最後に話してくれたのも、明智光秀の人柄を物語るエピソードでした。
織田信長は「鳴かぬなら 殺してしまえ ホトトギス」
豊臣秀吉は「鳴かぬなら 鳴かせてみよう ホトトギス」
徳川家康は「鳴かぬなら 鳴くまでまとう ホトトギス」
明智光秀は「鳴かぬなら 放してしまえ ホトトギス」
「このような表現で光秀の本来もっている優しさが表現されることもあります」と有名なホトトギスを使ったたとえで伝えてくれました。
「福知山を案内するために、光秀のことを勉強したり、調べてみたりすると、あちこちに光秀のあたたかく思いやりのある人柄がわかる伝承が残っていることに気づいたんです。福知山城を見るたびに光秀の人柄を思い返してほしい」と小谷さん。
光秀の奥さん煕子(ひろこ)との仲睦まじいエピソードや、戦死した人の弔いとして、光秀が身分の低い者にも寄進したというエピソードを聞き、今までヒールの印象が強かった光秀のイメージが変わりました。
このような物語が語り継がれてきたから、光秀は福知山で愛され続けてきたのだなぁとしみじみ思いながら、福知山城を後にしたのでした。
「福知山観光ガイドの会」の小谷雅喜さん、福知山城の見どころをたっぷり案内していただきありがとうございました。
と、ここで福知山城ガイド終了の予定だったのですが、小谷さんから「普段はあまり案内しないのだけど」という、珍しいスポットへ案内してもらいました。
そのときの様子は、「ブラタモリ」風の「プチっと解説」でお楽しみください!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
二の丸台地がごっそり削られた跡がわかるスポット
02.福知山市丹波生活衣館
アート・クラフト系女子はぜひ
伝統的な染織品の展示と体験スポット
福知山城をめぐり、観光ガイドの小谷さんから明智光秀にまつわるエピソードをたっぷり教えてもらった私は、「大河ドラマ『麒麟がくる』の続きがこれからもっと楽しく見られそう~」とふわふわウキウキ気分に。
そんな気持ちで向かった次のプチ旅観光スポットは「福知山市丹波生活衣館」。
入った瞬間、わ!!! 十兵衛様(「麒麟がくる」長谷川博己演じる明智光秀の通称)。
パネルの十兵衛様と目が合い、ここで出会うなんてびっくりと驚きつつ、胸がキュンキュン。
館内には主要な登場人物の立ち姿パネルが飾られているので、「麒麟がくる」ファンの方はここを要チェック。
福知山市丹波生活衣館は、福知山城から福知山駅方面へ向かって徒歩3分ほどのところにあります。失われてゆく着物を中心とした伝統的な染織品を、市民の寄贈などから集め展示する福知山市の文化施設です。
現在、なんと約10,000点が収集されているそう。
福知山城の寄付5億円とか、染織品の寄贈とか、歴史や文化を守ることにすごく協力的なんだな~、福知山の皆さんって!
福知山市丹波生活衣館では、展示だけでなく「機織り体験でコースター作り」や「組ひもの技術を使ったミサンガ作り」などのワークショップも体験できるということで、ドラマちゃんと2人で挑戦することに。
※入館料は無料
※機織り体験は10㎝角のコースター作り100円
※組ひも体験は綿糸ミサンガ作り200円 絹糸ミサンガ作り300円 (組ひも体験は要予約)
2人ともクリエイティブな仕事をしている身なので、こういった体験はとっても気になるのです。
私は「機織り体験」でコースターを、ドラマちゃんは「組ひも体験」で絹のミサンガを作ることに。
どんな作品ができあがるのでしょう。ワクワク。
私の機織り体験から説明します。
機織り機には黄色や紺、赤などいろんな色の縦糸がセットされています。まず、そのなかから好きな糸の機織り機を選びます。
次に、横糸代わりになる「裂き布」を6片チョイス。うわーっ! 選ぶのがたのしぃ~。でもセンスが問われそうなポイントだ。
丹波生活衣館の館長渡部佳代子さんにレクチャーを受けながら体験スタート。
縦糸に裂き布を通して、横糸を押し詰めて折り目を整える「筬(おさ)」と呼ばれる部品をトンと手前に勢いよく打ち込みます。機織り機のペダルを踏みかえてもう一度トン。
この手順を、トン、トン、トンと繰り返していきます。
渡部館長のお手本はとてもリズミカル、私はぎこちない……。
まぁ初めてだからしょうがないかと思いながら、半分ほど織り進めると少しずつ慣れてくる。
トン、トン、トンと調子に乗って進めていると「あ! 間違ってしまった!」という焦る一瞬もありましたが、すかさず渡部館長がお直ししてくれるので、問題なし。
ぶきっちょさんでも楽しめます。
6片の裂き布をすべて使って織り上げるとコースターが完成。
どうでしょう、出来は? 裁縫レベルが小学生から進化していない私でも、ちゃんと形になりました! これは嬉しい~!
館長さんの教え方が上手なのと、想像よりも手順が難しくなく、「あれ、私って織物上手なんじゃない?」と思えてしまうほど、お手軽に気持ちよく体験できます。
織りあげたコースターは、自分で作ったものなので、クオリティはさておき愛着がわいてきます。
いっぽう、組ひもでミサンガ作りに挑むドラマちゃんの様子は……。
こちらが組ひもを作る「丸台」という道具だそう。
「あれ、この道具どこかで見たことがある」と思ったら、映画「君の名は。」で主人公の三葉が組ひもを作るときに使っていたやつだと思い出し、密かにテンションが上がる。
あらかじめ4色の糸がセットされた、数種類の丸台の中から、自分の好きな色の糸がかかった台を選びます。
生活衣館の職員さんがレクチャーしてくれるので、それに従い糸を右、左、順番に交差させ組んでいきます。
最初は「あれ? 次は右だっけ? 左だっけ?」と頭がこんがらがっている様子のドラマちゃん。でも慣れてくるとすいすい~っとこなし、10分ほどで完成。
おお~、絵が描ける人はほんと器用だな~と感心。
旅先での作品作り体験は、できあがったものを見るたび、その旅の思い出がよみがえるので、とてもおすすめ。
福知山城を訪れた際には、すぐ近くにある福知山丹波生活衣館ものぞいてもらいな。
そうそう、機織りをしながら渡部館長が、昔の衣服や素材の話をしてくれました。
「綿は日本在来のものではないのですが、どこから伝わってきたでしょう?」
「綿が伝わる前は、主に何の素材の服を着ていたでしょう?」
などとクイズ形式で伝えてくれます。
……あれ? そういえば福知山城を案内してくれた観光ガイドの小谷さんもこんな感じだったなぁ。
福知山の方はクイズでレクチャーするのが得意なのかな~と頭の片隅で思いながら、答えを考えます。
手元では機織りをしながら、体も頭もフル回転のひととき。
綿はインドや南米など温暖な地域が原産で、平安時代頃に日本に伝わったそう。しかし日本の気候では育たず、戦国時代になってから肥料を改良するなど工夫を施し、ようやく栽培に成功しました。江戸時代でも綿は貴重品で、庶民は「早く木綿の服を子どもに着せたい」と夢みていたとか。
綿が伝わる前、日本人は麻の服を着ていたそうです。麻は北海道など寒い地域でも育つ強い植物。
しかし、麻を糸にするのには、綿を糸にする10倍程の労力が必要で、綿が素材として登場したときはとても画期的だったとか。
今の時代ではあまり気にすることが少なくなってしまいましたが、生活には欠かせない「衣」のことについて考える時間になりました。
また、福知山は川の氾濫が多かったため、水害に強い植物「桑の木」を川沿いにたくさん植えていたそう。その桑の葉を餌にするのが蚕。桑が多かった福知山は、かつて養蚕が盛んだったと教えてもらいました。
そういえば福知山のお隣、綾部市には繭をモチーフにした「まゆピー」ってキャラもいますよね。それくらい、このあたり一帯にとって養蚕は地域に密着した大事な産業だったんだろうな~。
時間の都合で、まだ見ていない展示があったので、また次の機会に訪れて渡部館長のクイズ式説明を聞きながら福知山の「衣」に関わる文化を知りたいなと思いました。
福知山市丹波生活衣館をもっと知りたい方はこちらをcheck!
▼ ふくたん編集部の「プチっと解説」
福知山市丹波生活衣館をもっと知る
あ、そうそう、ドラマちゃんは今回のプチ旅観光が終わった後、絹糸のミサンガを腕に巻いて蚕にまつわる知識を披露してくれました。ドラマちゃん、じつは昆虫が大好きなんです。
「驚きの事実、蚕は宇宙食になっている!!」そうです。うぎゃ~っ虫食べるの~無理。て思うけれど栄養価がとても高いスーパーフードだそう。
蚕さんに詳しいドラマちゃんは福知山丹波衣館でもお仕事できるかも、なんて。
今回のプチ旅観光のお話はここまで。
カヨちゃん「福知山城を攻略したでござる」
ドラマちゃん「我らの力をもってすればこの通りぞ」
ふくたん編集長「はは~! ありがたきことでございます」
次回は、福知山城周辺エリアで楽しむランチやときめくおしゃれスポットを巡るプチ旅観光をお届けする次第で候。お楽しみに~。
公開は11月21日ころの予定です。
倉田楽 京都・福知山事務所代表。フリーの編集・ライター。美しいフォームでの「自撮り逆立ち」の追求をライフワークとする、神出鬼没で予測不能の男。